【所在地】東京都中野区中央3-16-12
【閉店日】2022/6/4
【入浴日】(2021/1/7臨時休業)リベンジ再訪2021/1/24
初回訪問時は自宅からチャリ銭で「千代の湯」さんへ。
我が家からはチャリンコですが、JR中野駅からのアクセスを紹介しておきます。
JR中野駅 南口駅前より左手の線路沿いの緩い坂を上って行きます。
こちらのレンタカー屋さんの看板が見えたら手前の路地を右折。
突き当りを左折した先が紅葉山公園。この時は冬枯れの季節ですが、紅葉の時期はさぞかし素晴らしいのではないかと思います。
紅葉台公園の横を通過し、紅葉山通りを右折。紅葉山公園下交差点を通過すると左手に紅葉台公園下バス停が見えて来ます。バスの場合はこちらが最寄です。
徒歩の場合は、そのままバス停の先へ。バスの場合は進行方向へ。二つ目の路地を左折するとバス停からなら徒歩2分、駅からなら12~3分で千代の湯さん。
「おや!?何か変だな。何だろう、この不安感は。。。」
「え!?まさか!」
「ガガーン‼」「都合により当面の間お休みします」「当面の間お休みします」。。。
まあ、永年銭湯お遍路を続けていれば、こんな事もたまにはあります。
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さて、気を取り直して再訪問。
二回目訪問時は、溜まっていた仕事を午後までに片付けて、表の空気を吸いに再度チャリンコで中野方面へ。もみじ山通りから正行寺の路地を左折すると、一つ目の角に千代の湯さん中庭の大きな木とピンク色の土塀が見えて来ます。
建物周囲をグルリと回って見ると建物脇から、昔の煙突は短く削られ、その脇からモクモクと煙が立っていたので、塀より低い新しい煙突が脇に立っているようです。
それでは風情のある暖簾を潜って中へお邪魔します。
昔ながらの男女振り分け式入口で男湯は左側です。
番台で受付を済ませ、いざ浴室へ。
千代の湯さんは、HP等にも浴室写真が出てませんので、ここからは私の拙い図解とレポートでお届けしますので、お付き合い願います。
浴室正面には見事な富士山のペンキ絵。23.12.24西伊豆 雲見と書いてあるので、10年程前の作ですが、まだまだ保存状態が良く綺麗です。
まずはいつも通り沐浴で全身お清めを済ませ、早速お風呂へライド温♨
お風呂はシンプルにジェット、バイブラ付きの浅湯と深湯。この日は薬湯で浴槽全体がレモンイエローのレモン湯。43℃程のちょい熱めの湯で良く温まります。
しっかり温まったところでサウナ室へもお邪魔します。
千代の湯さんのサウナは、電気ヒーター式でこの日のコンディションは36℃。
終始貸切状態で、座椅子に座ると物足りず、ほぼスタンディングサウナw
発汗後は水風呂が無い為、立ちシャワーでクールダウン。この日は降雪の予報で冷水シャワーの水温は12~3℃の流水とキンキンで速攻クールダウン。
この日は冷水シャワーを挟みつつ以下2セット。
・サウナ10分⇒冷水シャワー0.5分⇒休憩3分
・サウナ12分⇒立ちシャワー0.5分⇒休憩5分
仕上げは深湯でレモン湯に肩まで浸かってじっくり温まり、熱めのシャワーでザっと流して上がりました。湯上り後は汗が引くまで暫し縁側で外気浴。
表に出ると日が落ちてきた曇天の空にネオンの灯った千代の湯さんのシルエットが美しく、一枚カメラに収めました。
レモン湯のお陰で自転車を漕ぐ帰り道もずっとポカポカでした。
本日も良い湯、良きサウナをありが湯ございました。
【閉店後撮影】2022/6/5
その千代の湯さんが2022/6/4唐突に閉店しました。
元々設備の老朽化があり、6月中旬の閉店予告をしていたところ、6/1に釜から大量に漏水し、着火不能の状態に。2~3日試行錯誤を試みられたようですが、修理不能という事で、遂に営業を断念し、2022/6/4閉店の貼り紙を貼り出されたそうです。
再訪叶わずとの事で断念しておりましたが、銭友(というより銭湯巡りの大先輩)K氏より、今日なら中の写真を撮らせて頂けるから、来ませんか?とのお誘いが!
これも何かのご縁ですから、自宅からチャリンコで千代の湯さんへ。
ここからは撮影させて頂いた千代の湯さん中の風景を中心にご紹介させて頂きます。
さて、一通り撮影を終えたところで、ここまでチャリンコで来たので、撮影の御礼をかねて銭湯といえばのフルーツ牛乳を頂きました。
帰りに千代の湯さんの外観を撮影させて頂いていたところ、ご主人が『だったら暖簾を出そうかね』と仰って頂いて、お陰様で営業当時の姿のままを撮影。
帰りにご主人が、『これ良かったら持って行って』とケロリン桶を下さいました。
聞けば千代の湯さんでは木桶を使っている為、コチラは閉店銭湯より譲り受けたものだが、使用せず仕舞っておいたものなのだそうです。快く撮影にお付き合い下さり、貴重なお話やお土産まで、誠にありが湯ございました♨
千代の湯さんの創業は昭和27(1952)年、当年で70周年との事。
創業来、高度経済成長下の昭和30年代、40年代は、大学、就職で上京する若者が中野周辺の風呂無しアパートに沢山住んで、風呂場は若者で溢れかえったそうです。その後、アパートの老朽化で風呂付アパートや建売住宅等に立ち替わり、最近は客数も減り、年配のご常連ばかり、そこに来てコロナ、燃料費高騰、設備老朽化で継続が困難となったとの事。ご主人のお話からは、これまでのご苦労が偲ばれました。
誠に残念ではございますが、この場をお借りしてこれまでのご営業に深謝♨♨