【所在地】東京都台東区池之端3-4-20
【入浴日】2019/9/8
【閉店日】2020/8/14
【泉質】固形物総量12,770㎎/㎏の黒湯モール泉(※昭和6年東京都衛生局の認定)
1.上野史跡散策
本日は週末レトロ銭湯はしごという事で、蔵前の「三筋湯」から再び上野へ戻って参りました。
※コチラは蔵前「三筋湯」さんのレポートです↓
週末ですし、折角ですので、上野恩賜公園を抜けながら、史跡散策しつつ六龍鉱泉を目指す事にします。
①寛永寺 清水観音堂
こちらは江戸時代 寛永8年建立の重要文化財です。人形供養で有名なお堂です。
②花園稲荷神社
縁結びの神様で、上野屈指のパワースポットだそうです。縁結びの神様との事で、仕事では良いお取引先様との出会いを、プライベートでは良き湯仲間との出会いを祈念させて頂きました。
③五條天神社
花園稲荷神社の境内の一角に五條天神社があります。こちらは写真を撮り忘れましたが、医薬の開祖だそうで、健康祈願、合格祈願等の御利益があるとの事で、家内安全を祈念させて頂きました。
④上野東照宮
こちらは徳川家康始め、徳川家の歴代将軍を御祭神とする寺社で、1651年造営の重要文化財です。戦時中空襲に見舞われるも、不発弾で倒壊を免れる等、強運な社殿という事で、出世、勝利、健康長寿にご利益があるとされていますので、家内安全、商売繁盛を祈願させて頂きました。
社殿は金色堂で流石に当時の将軍家の威光を感じさせます。
⑤旧寛永寺五重塔
東照宮山門脇には、旧寛永寺五重塔があります。こちらは上野東照宮の一部として寛永四年創建され、寛永十六年焼失の後、同年再建されたものが現在の姿だそうです。こちらも明治44年に重要文化財に指定されています。明治時代に寺社分離令が発布され、東照宮五重塔は仏教建築であった為、取り壊しの危機となり、当時の宮司がこれは寛永寺の物であると国に申し出、寛永寺五重塔と名前を変えました。その後寛永寺から国に寄進され、現在は上野動物園の敷地内にあるという事です。
⑥護国院 大黒天
上野恩賜公園を抜けた先に護国院 大黒天はあります。
こちらは東叡山寛永寺の子院の一つで天海僧正が東叡山を開くのと同時に最初の子院として建立されたものだそうです。この大黒天は谷中七福神のひとつとされ、五穀豊穣の神様である事から、商売繁盛を祈念させて頂きました。
2.六龍鉱泉
さて、上野恩賜公園周辺のパワースポット巡りもひと段落し、東京芸術大学、上野高校を抜けた先に六龍鉱泉の看板が見えてきます。
この路地を入って屋号が染め抜かれた暖簾を潜ると左手が男湯、右手が女湯です。
こちらの一風変わった屋号は、先々代が水の中から「六匹の龍」が踊り出した夢を見たことで名付けられたものだそうです。受付を済ませ、早速浴室へお邪魔します。
浴室内に入ると正面に錦帯橋のタイル絵が出迎えます。
仕切り壁は洋風の港のタイル絵、センターの洗い場はシャワーが無く、カランのみの低い造りで、そのせいもあり、浴室内がとても広々と感じます。
まずはここまでの散策の汗を沐浴で洗い清め、早速湯を頂きます。
浴槽は向かって左側が浅湯(中温)、右手が深湯(高温)です。
六龍鉱泉は熱湯で有名で人によっては屋号の通り「六匹の龍が噛みつくよう」と表現される方もいらっしゃるようです。
まずは中温の浅湯からそろりと入ります、流石に中温といっても43~45℃前後あります。黒湯は少し透明感があり、10~15㎝程度なら透けてみえそうです。モール泉*1特有のぬるすべ感があり、いわゆる美肌の湯のようです。
いよいよ深湯(高温湯)にもチャレンジします。湯温計は都内屈指の48℃!!六匹の龍が噛みつくとまではいきませんでしたが、なかなかしびれる熱さです。私の場合、これまでの湯活(高温湯、サウナ、熱波等)で鍛えられているせいか、何とか耐えられる熱さでしたが、それでも体を動かすと、体表付近で体温に順化したお湯が揺れ新鮮な高温湯が襲って来て、正に六匹の龍が・・・状態になりますw
じっと、そっと3分程HSP(ヒートショックプロテイン)*2を鍛えます。体の芯から温まったところで、洗い場のシャワーで掛け水をしてから上がりました。
湯上り後もしばらく汗が止まらず、脱衣所のアイスクーラーからガリガリ君で有名な赤城乳業の赤城しぐれ(いちご味)を何十年か振りに買って頂いちゃいました。
体が欲していた事もあり、懐かしくも大変美味しく頂きました。
縁側からは坪庭と鯉の泳ぐ池が見えました。
本日も素晴らしい湯をありがとうございました!
※浴室内は撮影不可の為、台東区浴場組合Webサイト他より拝借しております。
こちらは2020/8/14突如閉店されました。
訪問された方によると、若旦那より最近鉱泉の湧出量が減っていたが、遂に枯れてしまった為、廃業を決定したとの事。閉店と同時に名湯 六龍鉱泉も閉泉となってしまったのは誠に残念です。あの佇まい、激熱の黒湯温泉を見る事はもう叶いません。
昭和6年創業との事ですから、101年の歴史に感謝。
今となってはもう見られない、昭和初期の温泉分析書掲示について、海老名「OYUGIWA」のプロ熱波師 シダトモヒロ氏のブログ「旅は哲学ソクラテス」に掲載されていましたので、そちらを引用させて頂きます。